クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

シュークリーム、クリーム抜き

 忘却曲線というものがあると聞く。
 一度覚えたものは次第に忘れていくが忘れる手前で覚えると以前より定着する。それを繰り返すことで忘れにくくなっていく。
 これが事実かはさておき、脳みそは忘れつつあるものを忘れていないということになる。忘れつつあるものを忘れきってしまう前に思い起こさせればその電気信号の刺激が重要なものと判断されていく。
 記憶の引き出しのようなものが存在していて、その中身を徐々に取り出しやすい引き出しにうつしているような感覚だと思う。
 最初から重要な引き出しに入れられる内容もあれば、重要な引き出しから徐々にそうでない場所に移されるものもある。
 僕は今日書こうと思った内容をすっかり忘れてしまった。こういう発想の結びつきはどうも保存されにくい傾向にある。重要なものでさえ失われていくのには脳内の機能として問題があるのではないかとまで感じる。はたして今日は何を書こうと思ったのだろう。
 思いついた時の景色は覚えている。
 今日の帰路でのこと。利用している拠点から利用したいバス停までの移動中のことだ。最も最寄りのバス停から出ている路線とは違う路線に乗りたかったので、10分ほど歩いてたどり着くバス停を目指していた。
 ローソン、交差点、セブンイレブンを通り過ぎた後の横断歩道の点滅。
 その信号機の点滅を強く覚えている。
 しかし肝心の中身が抜けてしまっている。ドーナツのようだ。いや、ドーナツはその中心がない状態が完成した姿なので正しい例えではない。チョコのないトッポ。クリーム抜きのシュークリーム。そういう姿を想像すべきだろう。
 もしかしたら思いついたという記憶は後から改ざんされたものかもしれない。思い出は改変されていく。思いついたと思い込んでいるだけで事実ではないということがあり得る。
 クリームを入れる前だったのか抜き取った後なのか。僕の中にはシュー生地のみ残されている。あるいはクリームではないものが入り込んでいたのかもしれない。
 つまり思いついていたのは別の記憶で、信号機の点滅と結びつくべき記憶や感情が失われている。結果としては同じことだが。
 はたして本当に失われたものはなんだったのか。僕は今何を追いかけているのか。わからなくなってしまった。
 仕方がないのでシュー生地だけを味わうしかないのか。
 そういえばその信号機の手前のセブンイレブンで肉まんを買って行儀悪く食べたことを思い出した。(夜歩き - クラゲドーナツ
 シュークリームの完成だ。嬉しいね。