クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

2021年の日記を省みて

そういえば最近ここに日記書いてないなと思って、ふと毎日書いていた時期の記事を見てみた。

2021年後半によく記述している。あんまりはっきり書いてはないけど、2021年6月頃から糸がプッツンといってしまい色々休んだ。プッツンの割には軽いものだったので全てを停止することはなかったのだけれど、それでも朝起きて何もできず寝る生活も多かったみたい。おかしくなってすぐスマホに日記をつけ始めているが、どれも寝てばかりと書いている。どれも見てられないので公開してなくて良かったと思う。

大学院生だったので色々相談して、とりあえず後期からは行くだけ行ってみた。はてなブログに日記書き始めたのもこの時期。苦しさも見え隠れするが回復傾向を感じる。何かが大きく変わったわけではないし、内省的な考えはそのままだけど、少しだけ風通しの良さがある。今みると共通する考えもあるし、最近考えてなかったこともある。そのほとんどを忘れているので、こういう記述は積極的に残しておくべきだと思った。自分がどういう人間か他人事のように見られる。

苦しかった時期、相談の中で自分の完璧主義的考えと真面目さと不真面目さが露わになって、これまでの生活全てに関わる苦しさが見えてしまった。ちゃんとしなきゃと思ってたし、一度決めたゴールや到達点を動かしちゃいけないと思っていたし、それが全くできず先延ばしにして、最後には全部投げ出してもういいやってなったり、それすらもできず苦しみもがき死んでいた。

今はこの考えを(全部ではなくても)おおよそ変えられている。特にゴールや到達点を変えて良いということを知った。一度決めた方法でゴールできないなら方法は変えていいし、それがダメならゴールの設定が間違っていると知った。色々変えながら、時間内に終わることをやればいい。まあなんやかんや頑張る必要はあるかもしれないけど、途方もない先にある天竺を目指すんじゃなくて、隣町の喫茶店に行くことを考えればいい。そういうことを知った。

自己啓発的で説教臭い内容になった。人に言いたいんじゃなく、自分の中でそういうパラダイムシフトがあった。これ以来自分の中のしんどい状態を中に溜め込むんじゃなくて、外側に置いて考えられるようになった。自分の内向的で内省的な面は変えられないし、それを使って反省すると良い方向に進むわけがないので、環境やルール、システムの変更ができないか考える。人は必ずミスをするから、人がミスしないような設計をする。これをポカヨケというらしい。フールプルーフともいうらしい。

世の人が結構不真面目ということも知った。わりと適当でも世界が周るらしい。なら全部できなくても良いかと思えた。よくよく考えたら誰も全部はやってない。ごく稀になんでもできる超人がいるけど、あとはそれぞれちょっとずつやっていて、できないことを他の人がやっている。自分は1人で、他人は無数だから、比較したらそりゃあ他人の方が上に見える。誰もが自分より上の能力を持ってるし、逆に誰もが自分より下のところを持っている。

いまだに自分に何ができるかよくわからない。就活という仕組みが苦手で本気でやらず避けてきた(今生活できてるのは本当に運が良いと感じる)。だから自己分析をしたことがない。まあやったところで自分がわかるとも思えない。内向的で内省的な人間で、なるべく人を傷つけたくないという気持ちと架空の他者をクソだと思う気持ちを持っている。それぐらい。でも一応生きて生活している。自分が好きなものはたくさん知っているので、なるべくそれに触れられるようにしている。あと最近孤独を恐れて、内向的な性格をちょっとだけ改善しようとしている。「改善」は違うな。まるで外向的な方が良いみたいだ。それは外向的な人が決めたルールで、内向的でも良い。ただ自分は人と関わりたいので、少しずつでも関わるきっかけを作ろうとしている。そういうことだけ知って生きていれば、まあいいかと思えている。

今年度は恐ろしく行動的な生活で、21年の頃からは想像もつかない生き方をしている。自分でもこんなに作品を観たり、出かけたりできていることの方が不思議だ。基本家から出たくない人間だと思っていた。いややっぱり基本はそうなんだけど、身体の中にオンオフのメリハリがついて、どうするか選びやすくなったような気がする。やる気スイッチが首の後ろにあるのかもしれない。

21年のころ、何もできなくても良しとして良かった。何もできない中でも、食事しかしてなくても、とりあえず今日を生きて終われることを良しとする。これもゴールを動かすということかもしれない。

ここまで書いて読み返して、まるで転生して何もかも入れ替わったかのように見えた。そんなことは全然ない。変わったことばかりあげつらってさも変わったという風にしているが、変わってないこともたくさんある。でも変わったことがあるだけでいいかなと思っている。毎日毎日同じ日になって死んでいくことを恐れて生きているけど、お昼ご飯を違うもの食べたり、帰りの電車が一本ずれたりしている。それぐらいで良いし、それでだめなら、普段食べないご飯を食べたり寄り道して帰る。自分にできる変化でゴールにする。今のこの考え方が自分の生活と合っていて息苦しさが減った。安直な生きてるだけで偉いよとか、人生は輝いてるよとか、本当にむかつくぐらい嫌いなんですけど、暗闇の中の小さな小さな明かりぐらいは光っていると思う。

着地点を見失ったので、最近行って良かった本屋のフェアを書きます。

「アトロク・ブック・フェア2024」(https://www.tbsradio.jp/c/abf/)

さようなら、またね

短歌 2024年01月

ッタッタッタトンネルが鳴る反響をまだ見ぬ雪に聞こえるように
 
飲み込んだ言葉は雨に流された好きって意味の全部で いいね!
 
黒猫の背に羽なんて無くていい飛ぶように手を伸ばして 祈る
 
 
今年はインプットをがんばりたい。
だが今回選んだ歌は正直よくわかっていない。よくわかっていないから鑑賞する。
 
鑑賞記録

我妻俊樹『カメラは光ることをやめて触った』

橋が川にあらわれるリズム 友達のしている恋の中の喫茶店

 

 「橋が川にあらわれるリズム」という上句に引っかかりがある。それは「川に橋が」ではなく「橋が川に」となっているからだと思う。イメージとして川があってそこに橋がかかるというのが順当だとすれば、これは橋が先にあってそこに川が流れたかのような感覚がある。橋が主役なのだと思う。橋を中心にとらえ、そのあらわれるリズムを取る。橋を主役として地に足が着いていた視点が遠くなる。上空から川の流れを追って橋を見るとか、あるいは自身が飛行機として川に沿って進みアクセントの橋があるようだ。

 また「リズム」がどうしてもある程度のテンポを要求する。リズムを感じるということは、例えば1秒や脈拍よりも速く橋があらわれているのではないかと想像する。3秒に1回なども存在するだろうが、それをリズムとして感じ取るのは難しい。川をラインとしてそこに点を打つようにして橋があらわれる。とりあえずそういう考えで置いておく。

 下句「友達のしている恋の中の喫茶店」はどうか。こちらはどんどん奥に入り込んでいくようだ。まず自分から離れて友達に移り、その友達のしている恋に入る。頭や心の中の、さらに中に入って、恋の中の喫茶店へと行き着く。この喫茶店が実在しているかわからない。可能性として、恋の話に出てくる場面としての喫茶店ならば存在しているかもしれない。しかし観念的に見れば恋という感情の街にある喫茶店というものも浮かび上がる。この場合なぜ喫茶店なのかもわからないが、奥の奥までもぐりこんだ先に喫茶店があるような気もする(気のせいかもしれない)。

 では「リズム」と「喫茶店」がどうつながるのか。ここが本当にわからない。地図上の街を見るような視点と目の前にいる人の中に入り込んでいく視点。書いていてなんとなくマクロ(巨視)とミクロ(微視)のような対立がある気がした。またどちらも出発点を自身としながら遠く離れていくような描き方じゃないかと思う。自分がそれぞれ逆のベクトルに伸びていく感覚があるのかもしれない。

 

 今回はわからないなりに良いと感じた歌をわからないなりに理解しようとした。分かったとは言えないが、少し近づけたかもしれない。わからないまま終わっても自分で近づこうとすることは続けたいですね。

2023年シャニマス短歌まとめ

2023年中に詠んだシャニマスの短歌を全てまとめました。
内心いいものも反省も多いけれど、それぞれ詠むために読んでなかったコミュ読んだり再読して発見があったりといいことも多かったです。ちょっと労力的に来年も全員分ってのは厳しいかもしれませんが、なるべく続けたい。

 

 

芹沢あさひ

まだ見ない星を目指して跳躍すホップステップ月へ銀河へ

ソロ曲「星をめざして」をもとに詠んだ歌。高くジャンプして宇宙まで行ってしまうような、一歩が大きくてすぐに遠くに行っちゃうようなあさひの動きを描きたかった。

 

三峰結華

原付で去る君を目で追いかけた遠ざかるエンジンと「また明日」

【雨に祝福】を詠んだ。三峰は去り際のギリギリまでおしゃべりしてくれるし、別れ際は「お別れの言葉」が聞こえなくなるまで言ってくれるんだろうなと思って。

 

斑鳩ルカ

カミサマも誰かを好きになり歌う嫌いな誰かを呪うように

「線たちの12月」とクリスマスイベントの乱入を思い詠んだ。この時はルカについて知ることのできるコミュがほとんどない中、このイベントコミュで「283プロと関係ない存在」に向ける目を知ることができた。ルカの中にある優しさを感じたところで、クリスマスイベントに乱入した時の最初のセリフで「救われないお前達に、メリークリスマス」と言ったのは本心なのかもしれないなと感じた。苦しみの中で同じように苦しんでいる人がくれる言葉しか響かないことがある中で、ルカの「メリークリスマス」に救われた人がたくさんいるんだと思う。そういう感情と言葉のかけ違いを詠みたかった。

 

園田智代子

じゃんけんぽんチ・ヨ・コ・レ・エ・トで駆け上がる夕暮れを見る春の真ん中

「チョコレート」って聞こえたら反応しちゃうんだろうなと思う。春の真ん中は青春のど真ん中ということなども含んでいる。小学生が遊んでいる情景を優しげに見る智代子を想像した。

 

月岡恋鐘

美味いもん作るあなたの歌声とサンドイッチに卵もつけて

恋鐘は食事や料理そのものに幸福を感じるかなあと思った歌。自分の特別な日に自分でご褒美つけて、みんなで食べることが好きかなと思いこういう内容になった。みんなで食べたいからサンドイッチにした。

 

風野灯織

いつだって努めて君が風を呼ぶ言葉を紡ぐあかりの祈り

努力と言葉を選んで話すところを入れ込みたかった歌。灯も入れようとしてちょっと散らかってしまったが。

 

市川雛菜

しあわせの色したケーキ、服、笑顔、月が輝く君が好きだよ

雛菜は自分の好きなものに囲まれている姿が思い浮かんだので、色んなものを羅列した。もう少し囲まれている感じを出したかった。

 

桑山千雪

春風をラッピングする柔らかな熱を一緒にたしかめたくて

千雪は共有することを大事にしているのと、日常の些細な変化を好んでいるように思うので、温かな春を分かち合う歌にしたかった。

 

櫻木真乃

つながった星から星へかがやきを伝えるために鳥は羽ばたく

真乃の歌でもあるし、283プロの歌にもしたかった。星座のように三次元的には全く位置の異なる星たちを結びつけるように、色んなところから来た人と人をつないでいくアイドル。それと伝書鳩のイメージを重ねた。

 

浅倉透(周年記念キャンペーン)

 

君を見る/君に見られる水平線そこにいるからそこで見ててよ 

5周年記念キャンペーンでノクチルの短歌を集中して作歌。ベースは同人誌、浅倉透合同『WHERE, WHO, WHAT IS TORU ASAKURA?』を読んでの考えも含んでいる。浅倉透から期待される「見ていてほしい」という感覚と、存在の留まらなさを詠みたいと思った。

 

福丸小糸(周年記念キャンペーン)

飴玉は小さな手紙みんなから君が好きだと伝えるための

みんな君が好きだよと言いたくて詠んだ。ファン感謝祭で手紙を返信する描写があったので、思いを託すものとして手紙と飴玉にした。

 

市川雛菜(周年記念キャンペーン)

サイダーのように弾ける雲に乗るあなたは風に咲くシャボン玉

ソロ曲「あおぞらサイダー」をもとに。ポップでファンシーな空気感を作りたかった。サイダーの泡が上るようにシャボン玉を空に浮かべようとした。

 

樋口円香(周年記念キャンペーン)

空っぽの宝石箱に蓋をする紡ぐ言葉はルビーだ 熱い

【Merry】から。言葉(というより言霊)を大事にしていると思うので、その宝石のような輝きと熱っぽさを詠みたかった。

 

浅倉透(周年記念キャンペーン)

ポケットをひっくり返す忘れてた時間と糸が絡む失せ物

「ワールプールフールガールズ」をもとに。浅倉透はぜんぶひっくり返そうとすることと、失くした物が埃まみれで見つかること、物にはいろんな思い出が絡むことを詠みたかった。

 

ノクチル

鯉のまま泳ぎつかれてしまっても鯨は海で待つからまたね

ノクチルのことを詠む時は「鯨」を入れることにしている。ワールプールフールガールズでは同級生「竜王」が出てきて、竜に成れなかった話が出てきた。鯉が川を登って竜になる登竜門の話を思い出したので、鯉と鯨の世界を作りたくなった。

 

福丸小糸(周年記念キャンペーン)

あの街に続く道にも枝がありこことは違う花が咲いてる

リスペクティブワークスタイルとかでシャニマスはアイドルを選ばなかった彼女たちを想像させることが時々あるかと思うけど、小糸には特に他の人生を感じることがある。道が分かれていくことと、木が枝分かれすること、そして枝分かれしたその先どれにも花が咲くことをつなげて詠んだ。

 

市川雛菜(周年記念キャンペーン)

いつかくる終わりも君は笑ってて帰りにケーキでも買いに行く

「ワールプールフールガールズ」などで雛菜はノクチルがいつか終わることを理解していることを明確に見た。終わるって分かってても続くこともわかっている人だから、楽しければ笑顔を絶やさないかなという歌。

 

樋口円香(周年記念キャンペーン)

夕焼けが私の街を燃やしてく爆ぜる火の粉が胸を燻る

【カラカラカラ】に戻って、かつ彼女の熱を伝えたいと思った。知らなかった世界を知ってどんどん入り込んでいくことと、火が燃え移ってくる感覚を近づけた。

 

市川雛菜(周年記念キャンペーン)

ひかりさす なみうちぎわに なをきざむ さらわれても残る足跡

【DE-S!GN】をふまえて。砂浜に「ひなな」と書くことと、それが消えても残るものを思った歌。すごく良いコミュだけどあの質感をうまく描けなかったのでまた主題にしたい。

 

福丸小糸(周年記念キャンペーン)

初めて笑う君を見たアルバムは時間をかけて重たくなって

ノクチルといない時の小糸ちゃんが時々描写されるけど、学校で笑ってる姿をあまり想像できなかったので、小糸の笑顔を見たことない同級生もいるんだろうなと思った歌。卒業アルバムを特に意識してるけど、そもそもアルバムって写真を足していく物理的に重さが増えるのと、思い出がどんどん増えていくのと2つの好きなところがある。

 

樋口円香(周年記念キャンペーン)

羽ばたきがいつか嵐を生むように飛ばない 私にあるのは脚だ

バタフライエフェクト。小さな変化が大きなうねりを生む。でも飛ぶということに懐疑的な目を向けるだろうなと思った。必ず地に足つけて闘うんじゃないかと思い、その重心の低さを乗せたかった。重さと軽さについてはGRADをもとに2022年に詠んだので、少し距離を置こうと思い言葉にしていない。

 

田中摩美々

夜光性だから昼間はお日様に引いた斜めのラインマーカー

摩美々が似合う時間はやっぱり夜かなと思って、夜行性と夜の景色が似合うということを入れたかった。多くのひとが活動する昼間、マジョリティというものに反骨する感覚を持ってるかなと思って、斜めの前髪と合わせて太陽に線を引くこと、蛍光に光るラインマーカーと夜光をつなげた。

 

白瀬咲耶

王子様ドレスで踊る夜を超え魔法が解けても君は微笑む

咲耶は王子様としてのキャラクターがあるけど、それでいてドレスも似合うと思った。両面持っていてほしいし、そういう着飾った姿をやめても魅力がとまらないことを「魔法が解けても」と言いたくなった。

 

八宮めぐる

つながった縁をめぐる結び目がほどけないようまた手をつなぐ

LPで見た、これまで結んできた人間関係をすべて大事にするめぐるを詠みたかった。縁を結ぶという言葉から紐状のイメージがあるし、疎遠になりそうな人とまた距離を近づけることは紐を結び直すことに似ている。

 

七草にちか

今日は卵を二個使うぜいたくを許した朝の声とステップ

「卵って高いんですよ!」って言いそう。ちょっとはづきさんの視点も含みつつ、今日誕生日だし「卵二個使っていい?」か「卵二個にする?」かどっちが言い出すかわかんないけど、でもそういう小さい贅沢から1日がスタートしてほしいなって思った歌。

 

小宮果穂

サンセット君の瞳が届くから誰にも羽があることを知る

果穂は人の良いところを見つけるのが本当に上手だと思う。そういう誰もが輝く可能性を持つことを教えてくれる瞳、夕焼けの赤色は散乱せずに遠くまで届いた光だということや放課後の重ね合わせで作った。

 

和泉愛依

月光が内から照らす微笑みを隠しきれないあたしの仮面

「ウチ」も「あたし」も大事にしているので、音としてはどちらも入れたかった。GRAD優勝コミュも大事なところかなと思って。光は隙間から漏れるものだから、クールな仮面の隙間からそういう笑顔が見えるといいなあという歌。

 

有栖川夏葉

葉を揺らす夏の日に触れ空へ向く放課後の君遠くなっても

挑戦もしたかったので、は行の音を入れていった。木の風にざわめくところや夏の日差しを一身に浴びるところが明るいなと思う。一方で木は上に上に伸びることができても人のように移動できない。中高生の頃校内や学校周辺にあった木をもう見ることはほとんどないのかもしれない。こっちは地元でなんとかやるから、そっちも元気でね、というようなことを考えていた。

 

緋田美琴

BPM120より高鳴って嬉しいことがわかり嬉しい

美琴の視点であって美琴の視点でないかもしれないけど、あんまり自分の喜びが表に出ない人なので、身体的反応の方がより感情的なのかもしれないなと思った。ドキドキしてることがわかって初めて感情に気づく感覚を美琴も味わっているといいなと思う。

 

幽谷霧子

日にそよぐ花が咲くまでほほえみを紡いだ声と水がながれる

霧子の慈しみを詠みたかった。花一つ一つに声をかけて水をやる姿を、柔らかく温かい空気とともに描こうとした。「日にそよぐ」は好きな言い回しになったのでもっと活かしたい。

 

杜野凛世

あゝ遠くまで飛んで行け折鶴は君を宿して翼をひらく 

折鶴に息を吹き込んで翼をひらいたことはありますか。LPで凛世自身が遠くに飛ぶということと鶴、それから朝コミュの折り鶴がつながっているように見えた。折り鶴は完成したあと息を吹き込んで翼を広げることができるけど、まさしく命を吹き込むようだし、自分を宿すようにも見えるかなと思ったのでモチーフは良かったかなと思う。

 

樋口円香

熱を帯び身体が宙に浮いたから歌は響いて鳴り止まなくて

ベースは【キン・コン】。夏祭りの熱と花火の浮いていく様をイメージした。円香の内側の熱っぽさと、暑い時や風邪の時の意識が浮く感覚を混ぜて、【ピトス・エルピス】あたりから描かれている歌への執着を詠もうとした。

 

福丸小糸

つむぐ ほつれる 一歩ずつ重なって糸は帆となり波をとらえる

練習する姿、試行錯誤する姿が印象的で、次とその次を求め続けるところが魅力的だと思う。その挑戦と失敗を繰り返していつか大きな海を自由に動けるようになること願う歌を作りたかった。

 

西城樹里

恒星を支える星の存在を君が光って見せようとする

【Clashmade】やGRADから。周りにいる支えてくれる人や自分を応援している人を見ていること、感謝を伝えようとしてくれる人だと思う。ファンとか裏方とか表舞台に立たない人のことを意識しているところが樹里ちゃんの魅力じゃないかと感じた。アイドルは星に例えられるけどその星は必ず輝く恒星で、惑星のように輝かない星は見えにくい。ここに仮託できると思ったのでこういう歌になった。

 

黛冬優子

モニターが獲物を捕らえ蠱惑する紅葉の鬼はキュートに笑う

紅葉狩という能や歌舞伎の演目の、美しい鬼を入れ込みたかった。傾城とかもそうだけど、美しさが破滅を呼ぶっていう存在が面白いなと思ってる。冬優子も一度捕らえたら離さない魅力を持っているし、それを分かって振り撒いてくると思ったから重ね合わせてみた。ただどうしても鬼のイメージとか他の言葉のバランスが悪目立ちしたので反省。

 

大崎甜花

満月も陰があること歌声が背中に触れて温かいこと

GRADをふまえて。輝く場所にいるアイドルにも1番光が当たる場所とそうでない場所がある。けれども、どこにいてもアイドル自身は輝いてることや、そのアイドル自身は誰かの励みになることを甜花ちゃんが教えてくれた。ただ上句が重くなって下句が難しかった。

 

大崎甘奈

月面は残した跡に気づくかな歩いていくよ海のランウェイ

LPから。くやしかった記憶を足跡として残した場面を見て。月に足跡があることを重ねて、ここから月の足跡が見えないように甘奈の表に出ないがんばりが見えにくいことと、一方でそれが残っていることを描きたかった。

 

以上です。GRADやLPのコミュを中心に読んできたので、来年はできたらサポートカードやイベントを通してユニットの歌を詠めるようにしたい。もっといい短歌を詠めるように、もっとシャニマスを深く楽しめるようにやっていきたいね。

来年もよろしくお願いします。

 

短歌 2023年11月

つむぐ ほつれる 一歩ずつ重なって糸は帆となり波をとらえる

 

恒星を支える星の存在を君が光って見せようとする

 

 

今月も1冊一応読めた。読めたというより目を通したぐらいだけど。がんばりてえですね。楽しくね

 

鑑賞記録

 

睦月都『Dance with the invisibles』

そこらぢゆう木香薔薇が咲いてゐる 夜なのに子どもの声がしてゐる

 

文語の硬さと言葉選びにより上品な印象がある。

言葉の意味はそれぞれわかりやすい。前半は説明するまでもなく、後半も理解はできるだろう。しかしその組み合わせにより若干の非日常的な空気がある。花が多く咲いている情景と夜、そして子どもの声が幻想的で少しの不気味さを生んでいるように思う。

木香薔薇は4月から5月にかけて咲くつるバラ。枝いっぱいに花を咲かせるらしい。

「夜なのに子どもの声がしてゐる」とはどういうことか。前提として普段は子どもの声が夜でも聞こえるような環境ではない。それは「夜なのに」で表れている。では「子どもの声」をどう捉えるか。一つは比喩として考えてみる。「子どもの声」のように聞こえる何かである。例えば上句と絡めるならば草木の揺れがあり得るだろうか。風にさざめく音が声のように聞こえるという「幽霊の正体見たり」ではないが、その不穏さを剥がすような答えとなる。

一方で「子どもの声」をそのまま子どもの声と考えることもできる。1人の声か、話し声か。たまたま聞こえるものか、こちらに向けられた声か。おそらく静かな環境に不自然に聞こえるものがある。そうなると聴覚は鋭敏になり、さらに聞こうとしてしまう。不気味に聞こえるものはさらに聞こえてくるようになる。近づいているように。

構造の話でいえば、下句が句またがりで字余りとなっている。文節で区切れば最後が4音になる。リズムのずれが違和感を生み、最後4音で終わることが途中で切れたような、突然道がなくなったような感覚があるように思う。

日常的に見える上句と不穏な下句が絡み合っている一首ではないだろうか。

 

短歌 2023年10月

あゝ遠くまで飛んで行け折鶴は君を宿して翼をひらく

 

熱を帯び身体が宙に浮いたから歌は響いて鳴り止まなくて

 

 

去年なんとなくで応募したNHK全国短歌俳句大会に今年も挑戦しようと思い、いろいろ確認していました。去年はあんまり存じ上げていなかった審査員の名前を見て慄いています。がんばりたいね

 

鑑賞記録

 

千種創一『砂丘律』

雪原で泣くんだろう泣きながらたばこ吸うんだろう僕は

 

何か行動をしながら、それを客観的に見ている自分がいる。時々その客観的視点は非常に冷ややかであると思う。

感情を大きく動かされることがあったとして、それを「泣くんだろう」と言われる。その上「泣きながらたばこ吸うんだろう」と行動まで予測される。雪原で泣くこと、泣きながらたばこを吸うことの感傷的な情景を、意図的に行おうとしているかのように「だろう」と言われる。泣くことも含めて全て演出された感情じゃないかと冷徹な視線を向けられている。その矛先は最後に「僕は」と付くことで自身へと向く。ただ最後に明かされるまで誰に向けられているかわからないのは、その矛先が自分以外、広く言えば抒情的に描こうとする表現そのものにも向いているからと考えるのはやりすぎだろうか。

音数は5・6・5・6(7)・6(5)(最後がまたがっているのをどう切るか判断できない)でかなり字足らずかと思う。このそれぞれ短いリズムが突き離すような物言いに聞こえるのではないか。下句を6(7)・6(5)としたが区切りとしては3・6・3で「たばこ」と「僕は」の3音。これが字足らずの短さからさらに短いリズム感を生んでいるのではないだろうか。

感情が描かれやすい短歌で必要以上に抒情的になることから距離を置くような視点を感じる作品だと思う。

短歌 2023年9月

BPM120より高鳴って嬉しいことがわかり嬉しい

 

宝石は青い炎のみちしるべ輝く君をたよりに歩く

 

日にそよぐ花が咲くまでほほえみを紡いだ声と水がながれる

 

 

今回の鑑賞で選んだ歌集ですが、個人的に触れてきた娯楽やインターネットが近いところを感じました。そういうものを含んだものやメタ的な短歌もあるので90年代生まれは近いものを感じるかもしれません。

 

鑑賞記録

青松輝『4』

 

数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4

 

 人は音や文字に意味をつけた延長線上で、同じ音や連想から全く異なる意味を見出すことをする。つまり「4」と聞いて日本では「死」を連想することが多いだろうという話だ。「し」あわせとして「幸せ」を連想できなくもないが「あわせ」が余っているのが釈然としないし、「し」を「あわせ」るのであれば4+4で8と考えたり、やはり「死」をあわせるという考えにも戻れる。

 さて、この一首では「数字しかわからなくなった恋人」が登場する。極めて特殊な状況をそのまま現実として受け止めることもできるが、私はこれを様々なコミュニケーションの先で恋人となった人と言葉でコミュニケーションできなくなった、と捉えた。

 例えば言語の違う人達が恋人になるような、関係性がない状態から異なる言葉を交わしていくことはあると思う。しかしすでに関係性が進んだ状態で、言葉が届かなくなることはそれほど多いことではない。

 言葉が届かなくなった相手に「好きだよ」と囁く。すると相手は「4」と答える。これをどう考えるか。そもそも相手は「好きだよ」と囁かれてどう思ったか。恋人が何か囁く。言葉の意味はわからないが、恋人の表情や声の調子からそれが好意であることを想像するのは難しくないかもしれない。これは既に関係のある2人ということが活きてくる。言葉はいらないとは言わないが、言葉以外から読み取れることが多いのが初対面との違いと思う。

 「好きだよ」と囁いた返事が「4」だった。数字の意味がわからなくても、「死」を連想する数字でも、返事をしたことが答えではないか。好意を囁いて、相手がそれに応えてくれた。関係性から生まれる信頼として、その意味は分かるように感じる。

 ちなみに後に「数字しかわからなくなった恋人が桜の花を見る たぶん4」という一首が出てくる。「4」が好意的な数字と受け止めているのがわかる。

 では0〜9の中で4であることについて考える。音数としては2音にしたいと考えると、0、1、3、4、6、7、8、9とほとんど残る。人が勝手に特別な意味を感じやすい0、1、7は外すとしよう。末広がりの8や一桁最後の9も意味が強いかもしれない。これで良い意味も特別感もあまり感じない数字として3、4、6が残る。私にとってはこれ以上絞ることはこじつけにもつながると思うので、4でなければならなかったとは言い難い。しかし先に述べたように「死」という悪い方の連想ができる数字が出てくるということには、意味があるようにも思う。ほとんど意味の感じない3、6よりも4にしたい気持ちはある。だから4なのかもしれない。

 上句と「4」の非現実間が強いが、普遍的な恋人への信頼を感じるような歌かと思う。