クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

ゲームオブスローンズ見て

 ゲームオブスローンズを見てほしいという文章を書こうとしたが、あまりにも話が壮大すぎてまとめられずボツにした。ボツにしたけれどゲームオブスローンズは見てほしい。
 僕はようやくシーズン4を見終わった。これで半分。なかなか遠いところまできた気がする。
 相当面白い話になっている。本当に今後どうなるかわからない。誰がどうなるか全くわからない。
 結構過激な描写が多いので万人に勧められるわけではないが、超巨大な群像劇が見たい人や、複数の家が対立する政治劇、そしてダークファンタジーが好きな人はぜひ見てほしいと思う。
 原作はジョージ・R・R・マーティン。今度発売の「エルデンリング」で背景となる神話を担当した人物。そういう世界観がお手のものということである。
 登場人物はめちゃくちゃ多いけれど、スターク家を覚えておけばなんとかなるので、顔さえ覚えていればだんだんわかってくるので、とりあえずシーズン1だけでも見てほしいと思う。
 見ている人を1人でも増やしてゲームオブスローンズ良いよねという話がしたいという気持ちがある。
 アマゾンプライムならみんな見られるので。
 たのむ。

樋口円香LP 「嫌い」の意味について

 シャニマスシナリオ「ランディングポイント」樋口円香についての感想(樋口円香LP - クラゲドーナツ)は一度書いているが、今日改めてLPを見返して気になった部分が出てきた。前回のが全体に目を向けたものとすれば今回は小さな一点に目を向けた内容になる。
 
 「yoru ni」において川に落ちた樋口円香をシャニPが「勝手に」助ける場面。
 「……」に「嫌い」という声が入った後、「嫌い……」というセリフがある。この「……」の方の嫌いにはどういう意味が含まれているのか気になった。
 この少し前の場面では「……るさい」と言うセリフがある。だからここも「……らい」でいいんじゃないかと思うのだけれどそうされていない。
 音声だけのセリフというものをよく演出で入れてくるシャニマスだから、ここになんらかの意味を感じてしまう。
 はたしてどういう意味なのかと問いを立ててみるけれど、何かしら証拠を集めて論理的に組み立てるというのも難しいので、直感的に感じたことをまとめておこうと思う。
 
 この場面において登場人物はシャニPと樋口円香の2人だけ。直前にシャニPの思考が記述されていることからシャニP視点の話と考えることができる。3人称的だが、1人称で物語が進んでいるといえる。
 だから書かれない言葉はシャニPが聞き取っていないものとなるのではないか。シャニPは「……」の「嫌い」を聞き取っていない。テキストには現れないという表現がされている。
 一方で樋口円香の視点からも考えてみる。先の「……るさい」という言い方も合わせると、明確に伝えようとしている言葉はテキストに表れてくるのではないか。
 先ほどのシャニPが聞き取れることの裏返しになるが、シャニPに聞き取らせようとしている言葉はテキストで表れる。
 シャニPが聞き取れなかった、あるいは樋口円香が聞き取らせようとしなかった言葉が「……」の「嫌い」。
 
 するとメタ的な視点になるが、なぜそのようなセリフがあるのかということが問題になる。2人の間で交わされないセリフをこちら側に提示している。
 樋口円香が聞き取らせようとしなかったという点が重要なのではないかと思う。意思を持って出した言葉ではなく、心の声としての役割を果たしているのではないか。
 上でも述べたようにこの場面はシャニPの視点で描かれている。だから思考、心の声はシャニPのものしか本来は見えない。
 樋口円香の心情は現れるものだけ、セリフや行動で判断するしかない。そのセリフ、行動は全てシャニPに見られているという制約がかかっている。人に見られていること、あるいはその人に伝えることを前提としたセリフ、行動になる。
 建前である可能性が強く残ることになる。
 しかしそれが自然と出た言葉として表現されれば、本音に近いものとして考えることができる。
 「……」の「嫌い」は最も本心に近しい言葉として捉えることができるんじゃないだろうか。ただしあくまで「近しい」だけで本心そのものではないと思う。
 当然最後の最後までシャニPに聞かれているということは樋口円香自身わかっているはず。あの場面は相当距離も近いことが想像されるし(やっぱりお姫様抱っこなんでしょうか。円香が手を痛めていることとシャニPが引き上げていることを考えると)声が届いてしまうという無意識が働いているので、最も本心に近い別の言葉としての「嫌い」なんだと思う。
 それがどういう意味なのかはさておき、相当大きな感情なのではないだろうか。普段感情をそれほど見せないからこそ、本当に大きなものを感じる場面だったと思う。
 
 以上が「……」の「嫌い」について考えたことだ。シャニマスはこういうセリフのない音声や、セリフと違う音声を流すことがあるので、どういう意図なのか考えてみると面白いかもしれない。【ピトス・エルピス】でもあったし、また考えてみたい。
 
余談
 【カラメル】も本当に良いものだった。ここまで築き上げた関係があるからこそコミュ1がめちゃくちゃ面白いものだったと思う。そしてコミュ2とtrueについてもすごく良い。またいつかまとめたいと思う。今はまだ中身のない感想しか書けないけれど、相当好きなコミュでした。

凹日

 なんかへこむ日。凹日。
 凸日もあっていいんじゃないか。なんか盛り上がる日。
 なんとなく上機嫌な日ってあんまりないような気がする。上機嫌な時は理由がある。あとはなんとなくへこむか、なんとなくまあまあの日がある。精神の設計ミスじゃないか。
 意味もなく上機嫌な日の割合がもっと増えれば嬉しい。なんとなく愉快な人として生きていきたい。
 凹日は実際に悪影響も及ぼすらしく、今日の終わりぎわにコートのファスナー部分が若干千切れた。大きな被害ではないのでまだまだ着られるのだけれど、お気に入りなのでとてもへこむ。雨の日にトラックから水をかけられるような気分。
 あまり暗いことを振り返るとますますつらくなるので、今日あったよかったことを思い出す。
 晩御飯に作ったナポリタンが美味しかった。YouTubeで見た動画で食べたくなった。ナポリタンは結構好きかもしれない。
 ELAIZA(池田エライザ)のアルバムが良かった。去年出たアルバム。雑誌で紹介されていたので知ったけれどかなり好み。
 レポート出した。
 以上。凹日にしてはよくやっていると思っておく。
 凹日に効く配信といえば、ラヴィット。朝の帯番組でめちゃくちゃ面白いからちょうどいい。平日毎日更新されるし、流しっぱなしにも向いている。最高のコンテンツのひとつかもしれない。TVerで見られるの本当に嬉しい。いろんな芸人がいっぱい出てくるのもうれしい。
 YouTubeで見るものがなくなったらTVerでラヴィットを見よう。
 なんとか凹日を乗り越えたので、明日は凸日だといいな。

もっと読書したい

 一月も半月過ぎた。大して生産も消費もできていない気がする。最低限消費したものだけでも記録しておこうと、見たもの聞いたものをおおよそメモするところを作った。メモしておくといつでも思い出せるし、思っていたよりも何かを見ていることが確認できる。
 コンテンツの長さはまちまちとはいえ、一応10個以上は見ていることが確認できる。1日1個弱のペースを保っている。少なくとも2日に一回は何か記入できるといいな。
 いつも触れているコンテンツ(シャニマスとかオモコロとか)を抜くと出版禁止が最後になってしまうので、明日には何か新しいものを摂取できるといい。こういう希望は大風呂敷でも広げておくようにする。
 新しいものといえば、ロラン・バルト『明るい部屋』が届いた。シャニマスの同名イベントがきっかけで知った写真論の本。まだ少しページをめくった程度だけれど、写真とはなんなのかということを知るいい材料のひとつになりそうな予感がある。
 こういう本は誰かと意見を交わしながら読んだ方がいいんだろうなと感じている。読書している時に思うことだけれど、自分1人では取りこぼしてしまうものが多そう。読書は必ず取りこぼしてしまうものだから多少は仕方ないことなのだが、いろんな人の視点を入れながら、いろんな人の気付きを入れながら読んだ方が面白そうな本もある。大半の本がそうかもしれない。誰かと読書会をしたり、感想会とかしてみるといいんじゃないかと思う。
 このブログで何度かこの結論に辿り着いているということは相当やりたいんだろうなと思う。元々サボり癖があるのでそういう縛りがあった方がやりやすいという気持ちがあるんだろう。いつかやれるといいね。
 『明るい部屋』はとりあえず読み進めてみる。写真に興味がある人は買ってみてほしい。
 そういえば読書をしている時の感覚がいまだにうまく掴めない。聞いているように読む時と目から意味を読み取っている時とがあるような気がする。感覚的なものなので確実にそうだとも言い切れないけれど。聞くという感覚が人よりも少し劣っているようなので、聞いているような感覚で新書を読んでしまうと情報がかなり流れてしまうのが非常に困る。かといって常に目で読み取ってばかりいると集中力がいるので、継続して読むには向いていない。難しいね、読書。
 もっと読書が上手くなりたい。それにはもっと読むしかないのだ。
 いっぱい読むぞ。

フリーライティング

  • なにも考えずに書いてみる
  • 脳で考えるより先に手を動かすという形
  • 脳で考えるより先に手を動かすなど実質不可能ではないかと思う
  • 実際の意味でいうと
  • 脳で考えたことを間髪入れずに記載していくということだろう
  • さて何を書いていこうか
  • このさて何を書いていこうかも考えが浮かびつつ書いている
  • こういう文章は読みにくいものになりがちだと思う
  • 文章に構成も何もないから
  • 構成が整っている文章が読みやすいのか?
  • そういうわけでもないだろうが
  • 読みやすい文章の要素の一つではないだろうか
  • 現在谷崎潤一郎の「文章読本」を読んでいる途中なので
  • 読み切って読みやすい文章についての理解を深めたい
  • 本一冊読み切ったからといって読みやすい文章が書けるわけではない
  • そんなことはわかっているのだが
  • ここで一度手が止まってしまう
  • 手が止まるというのは思考が止まるということになる
  • 思考自体は動き続けているはずだが
  • 言語の形態になっていないということ
  • 非言語の形での思考は続いているはず
  • 人は言語のみで思考しているわけではないと思う
  • こういうことも既にどこかで結論が出ているのではないか
  • 自分の思いつくことは既に先人がいる
  • そう思って生きている
  • 先に立つ人
  • ということ
  • 本当に?
  • 適当に考えすぎじゃないだろうか
  • 思考の速度に書く速度が追いついていない
  • 誤字が起こりやすい
  • タイピング能力が劣っている
  • あと変換がいまいち一発でいかない
  • その辺りも問題か
  • 何事にも課題はつきものということ
  • 課題が山積みというと
  • アニメとかで偉い人の机に承認待ちの紙が山積みにされている光景が思い浮かぶが
  • あれってどういう状況なのかいまいち想像できない
  • あの量の承認が形式上とはいえ長に一任されているとした場合
  • 組織の規模に対して長の仕事量多すぎませんか
  • 世の中実際はどうなんだろうね
  • 知らないです
 
 10分程度でここまで書いた。こういう行為のことをフリーライティングというらしい。
 この行為自体は何かアイデアを見つけたり深化させるための前段階のものなので、下書きとして使うべきだろうが、今日はこれをこのまま掲載してみる。
 自分の思考の流れを見えるようにして残しておくのも何か面白いと思って。
 WorkFlowyというアウトライナーソフトを用いて記載した。箇条書きなのはそのソフトを用いているからである。
 未編集の状態で掲載するのは、味付けもしてない生肉出したみたいで気持ち悪さもある。おそらく今後はしない。

『出版禁止 いやしの村滞在記』

 長江俊和『出版禁止 いやしの村滞在記』を読んだ。https://www.shinchosha.co.jp/book/336174/
 唸るほど面白い。本を読んでいて大きい声で「えっ!!そういうこと!?」と言ってしまった。この本は最初から疑ってかかっていて、途中にもたくさん違和感を感じていたにも関わらず、最後まで真相に辿り着けなかった。明かされた瞬間「書いてあったのに!」と気持ちいいまでの敗北をした。
 1日で全部すっかり読んでしまった。でももう一回読みたいというか、もう一度読まなきゃと思わせる作品になっている。
 この本に出会ったのは兄のおかげなのだが、読むきっかけになったことにこの作者が手がけた「放送禁止」という作品がある。ドキュメンタリーを装った作品、フェイク・ドキュメンタリーで、なんらかの事情で放送禁止になったVTRを再編集し放送しているという。「事実を積み重ねることが必ずしも真実に結びつくとは限らない」という言葉とともに一見ふつうの、なんとなく違和感のあるドキュメンタリーが放送され、最後に「あなたには真実がわかりましたか?」と問いかけられる。
 僕が見た「放送禁止」は4「恐怖の隣人トラブル」と5「しじんの村」だけなのだが、「恐怖の隣人トラブル」で流れる映像で積み重ねられた事実が最後に一気に崩れ去っていく恐怖を感じ、「しじんの村」では自身で情報を再構成して真実にたどりつく快楽を覚えてしまった。あまりに面白い映像体験だった。
 そして作者曰く「放送禁止」が映像でしかできないことならば「出版禁止」は文章でしかできないことを行っている。この文章でしかできないことというのが本当にうまい。この作品は映像には決してできない。文章でしか見ることのできないものを創り上げている。最高に面白い。
 中身についてはほとんど何もいえない。悩みや苦しみを抱えている人を癒すという「いやしの村」についてのルポルタージュなのだが、これは一度消滅した「幻の書籍」で、これにはある「呪い」がしかけられているという。それが一体なんなのかぜひ読んでみてほしい。また実際に読む時は必ず1ページずつ慎重にめくっていただきたい。その1ページに書かれている言葉を全て見落とさないために。
 全てはそこに書かれている。

開拓

 さて今日は何を書こう。日常は劇的ではないので切り取って面白いと感じるようなものがない。
 今日は成人の日らしい。
 成人式に行ったことがあるだろうか。僕はない。人生で一回ぐらい行っておくべきという人がいるが、一番絶好の機会を逃してしまい年々遠ざかっている。別に斜に構えて出なかったのではなく単純に時期が悪かっただけなのだが、無理にでも出たほうがよかったのかもしれない。成人式に出なかっただけでもう一生見ることがない人達がいると思うともったいないことをしたと感じている。
 ところで成人式とは成人になった式のことだが、成人とはなんだろうか。来年度には引き下げられるらしい。ますます成人というものがわからない。20を超えて変わったことはお酒を飲むことぐらいで、精神面で大きな変化があったとは思えない。身体年齢だけは以前書いた時から一歳老けた。本当は何かしら変化があったはず。自分では気がつかないものが緩やかな変化の中に存在しているとは思う。しかしそれが成人のものかどうかは疑問だ。
 ここまで書いてあまりにありきたりな悩みで面白くないと感じてしまった。誰もが何度も繰り返し歩いた道を自分も歩いている。少しくらい新しい道を開拓していきたい。
 今日の内容の新しい道とはなんだろう。そもそも成人について考えることがかなり開拓された内容のように思う。もはや街。
 自分にとって成人とは何かということに答えを出すことが開拓?しかしその答えも既にあるものに陥りやすい。開拓になるとはいえない。例えば自立することが成人だとして、そんな答えは既に多くの人間が言っている。今さら声を大にして言うことでもない。
 また開拓するにはこれまでどれぐらい開拓されているのか知らなければいけない。自分が思いついたと思っていることでも既に誰かに言われているのが世の常。しかしその過去を漁るというのも大変難しい。
 これをちゃんと掘り下げようと思うなら心理学に手を伸ばすといいのかもしれませんね。今日はそこまではしない。心理学は一度つま先が触れたぐらいでもう何も覚えていないので、ちゃんと勉強したいかもしれないな。
 色々開拓していきたい。人生だし。