クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

短歌 2023年11月

つむぐ ほつれる 一歩ずつ重なって糸は帆となり波をとらえる

 

恒星を支える星の存在を君が光って見せようとする

 

 

今月も1冊一応読めた。読めたというより目を通したぐらいだけど。がんばりてえですね。楽しくね

 

鑑賞記録

 

睦月都『Dance with the invisibles』

そこらぢゆう木香薔薇が咲いてゐる 夜なのに子どもの声がしてゐる

 

文語の硬さと言葉選びにより上品な印象がある。

言葉の意味はそれぞれわかりやすい。前半は説明するまでもなく、後半も理解はできるだろう。しかしその組み合わせにより若干の非日常的な空気がある。花が多く咲いている情景と夜、そして子どもの声が幻想的で少しの不気味さを生んでいるように思う。

木香薔薇は4月から5月にかけて咲くつるバラ。枝いっぱいに花を咲かせるらしい。

「夜なのに子どもの声がしてゐる」とはどういうことか。前提として普段は子どもの声が夜でも聞こえるような環境ではない。それは「夜なのに」で表れている。では「子どもの声」をどう捉えるか。一つは比喩として考えてみる。「子どもの声」のように聞こえる何かである。例えば上句と絡めるならば草木の揺れがあり得るだろうか。風にさざめく音が声のように聞こえるという「幽霊の正体見たり」ではないが、その不穏さを剥がすような答えとなる。

一方で「子どもの声」をそのまま子どもの声と考えることもできる。1人の声か、話し声か。たまたま聞こえるものか、こちらに向けられた声か。おそらく静かな環境に不自然に聞こえるものがある。そうなると聴覚は鋭敏になり、さらに聞こうとしてしまう。不気味に聞こえるものはさらに聞こえてくるようになる。近づいているように。

構造の話でいえば、下句が句またがりで字余りとなっている。文節で区切れば最後が4音になる。リズムのずれが違和感を生み、最後4音で終わることが途中で切れたような、突然道がなくなったような感覚があるように思う。

日常的に見える上句と不穏な下句が絡み合っている一首ではないだろうか。