クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

短歌 2024年01月

ッタッタッタトンネルが鳴る反響をまだ見ぬ雪に聞こえるように
 
飲み込んだ言葉は雨に流された好きって意味の全部で いいね!
 
黒猫の背に羽なんて無くていい飛ぶように手を伸ばして 祈る
 
 
今年はインプットをがんばりたい。
だが今回選んだ歌は正直よくわかっていない。よくわかっていないから鑑賞する。
 
鑑賞記録

我妻俊樹『カメラは光ることをやめて触った』

橋が川にあらわれるリズム 友達のしている恋の中の喫茶店

 

 「橋が川にあらわれるリズム」という上句に引っかかりがある。それは「川に橋が」ではなく「橋が川に」となっているからだと思う。イメージとして川があってそこに橋がかかるというのが順当だとすれば、これは橋が先にあってそこに川が流れたかのような感覚がある。橋が主役なのだと思う。橋を中心にとらえ、そのあらわれるリズムを取る。橋を主役として地に足が着いていた視点が遠くなる。上空から川の流れを追って橋を見るとか、あるいは自身が飛行機として川に沿って進みアクセントの橋があるようだ。

 また「リズム」がどうしてもある程度のテンポを要求する。リズムを感じるということは、例えば1秒や脈拍よりも速く橋があらわれているのではないかと想像する。3秒に1回なども存在するだろうが、それをリズムとして感じ取るのは難しい。川をラインとしてそこに点を打つようにして橋があらわれる。とりあえずそういう考えで置いておく。

 下句「友達のしている恋の中の喫茶店」はどうか。こちらはどんどん奥に入り込んでいくようだ。まず自分から離れて友達に移り、その友達のしている恋に入る。頭や心の中の、さらに中に入って、恋の中の喫茶店へと行き着く。この喫茶店が実在しているかわからない。可能性として、恋の話に出てくる場面としての喫茶店ならば存在しているかもしれない。しかし観念的に見れば恋という感情の街にある喫茶店というものも浮かび上がる。この場合なぜ喫茶店なのかもわからないが、奥の奥までもぐりこんだ先に喫茶店があるような気もする(気のせいかもしれない)。

 では「リズム」と「喫茶店」がどうつながるのか。ここが本当にわからない。地図上の街を見るような視点と目の前にいる人の中に入り込んでいく視点。書いていてなんとなくマクロ(巨視)とミクロ(微視)のような対立がある気がした。またどちらも出発点を自身としながら遠く離れていくような描き方じゃないかと思う。自分がそれぞれ逆のベクトルに伸びていく感覚があるのかもしれない。

 

 今回はわからないなりに良いと感じた歌をわからないなりに理解しようとした。分かったとは言えないが、少し近づけたかもしれない。わからないまま終わっても自分で近づこうとすることは続けたいですね。