クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

揺れながら

 今日家に誰もいないの……
 というわけで色々な条件が重なった結果実家で1人になった。
 ごくたまにこういうことがあるが、家全体に対して暗い部分が半分以上を占めている状態はなかなか普段感じない感情を生み出す。団地なのでそんな広い家というわけではないけれど自分一人に対して余っている空間が多い気がする。贅沢な気分になる。
 1人旅行できたビジネスホテルみたいな非日常への高揚感なのかもしれない。
 せっかくの贅沢なので、今テレビ画面で渋谷のライブカメラの映像を流しながらラジオを聞いている。
 大量に人がうごめいているのを見ながら好きなラジオを聞くのは本当に気持ちいい。
 たぶんこれが人によっては野球を見ながら飲む酒になるんだと思う。薬物みたいなものだと思う。あまりやるべきではない。いや、薬物は決してやるべきではないのだけれど。
 こういう堕落に近い娯楽はやりすぎるといけないと感じる。だからこそ魅力的に思う。
 堕落はいいと肯定していきたい。
 性分でなかなか肯定できないのに堕落したい欲求には抗えない。そこからズレが生じてしまうのが本当に体に良くない。
 堕落という言葉が悪いのだろう。完全なオフ。心身ともに使わないことによる休息だと考えられれば良いのではないか。何も摂取しないことで得られるものもあるということ。たまにはそういう状態も良い。
 今日は朝まで踊ろうってこういうことなんだと思う。
 朝まで踊りたい。人生で一度くらいは。
 踊るといえば、今日聞いたDE DE MOUSE & ぷにぷに電機「Midnight Dew」
とTAKU INOUE & Mori Calliope「Yona Yona Journey」が良かった。
 聞きながら踊っていた。
 こういう聞きながらめちゃくちゃ踊りたくなる曲が大好き。踊れないけど自然と身体が動いていく曲。これを聞いている間は僕の人生は圧倒的に豊かなもので満たされているような気分になる。
 踊れるようになりたいな。外国語でもそうだけれど自分の中にストックが足りないと感じるとかなりもどかしい思いになる。日本語でもよく起こる。
 自分の蓄積不足により表現できない感情のもどかしさったら。
 やばいだけしか言っていないと感情が「やばい」と「やばくない」の二択になると聞いたことがあるけれど、自分の中の細かい細分化された感情を表現する手段が失われているという意味では同じ状態だ。
 言葉で表現しきれない上、身体的な言語は何一つ持っていない。
 身体的な言語を多少持っていればさらに感じられるものが増えるのかなと思う。言葉によるコミュニーケーションよりも言葉でないコミュニーケーションのほうが多いのだから。直接的には身体的な表現が伝えられることのほうが多いのではないかと思う。
 まあ持っていないものをねだってもしかたない。
 今は身体を揺らしながら、文章を書いていく。