ユアクマちゃんのぬいぐるみが届いた。
人気があるのがわかる可愛らしさだ。クマの毛皮を被った何かなのだが、その何かの愛らしい顔とクマ側のしたり顔のギャップがめちゃくちゃ良い。これが今まで現実に存在しなかったとは驚きだ。今日からはこの世に存在するようになって嬉しい。
どうしてぬいぐるみはこれほど愛らしいのだろう。
生の形が曖昧で死を感じないからかもしれない。これを掘り下げると危険なのでこれ以上は言及しない。
あのこじんまりした手足や顔と胴体のバランスが可愛いのかもしれない。かわいいという要素は赤ん坊に近づけると良いと聞いたことがある。生き物の本能的な部分に訴えかけられているのであればしかたないことなのかもしれない。
ぬいぐるみは赤ん坊のかわいいを抽出した概念赤ん坊ということ。
倫理観のない発言をするけれども、生きた人間は何歳であれ煩わしい部分があるように思う。まあそれは一方で生き物でしか達成し得ない領域にまで踏み込んでくるという良い面もあるはず。
さておき、ぬいぐるみはそういう煩わしさがない。それはぬいぐるみから求められることがないということでもあるが、少なくとも応えてくれるという可愛さが存在している。
応えてくれると本当に可愛らしい。
可愛いが家の中に存在しているというのは良い。家に癒やしが増えると回復する体力も増える。
そういえばこうして癒やしが増えるのも久しぶりに思う。一時は特大サイズのぬいぐるみを高校に持っていく異常行動をしていたけれど(あれは明らかにストレスの負荷と回復を並行して行う荒業)、今では家で眺める程度だった。今日は久しぶりに外に持ち出したいという気持ちを思い出したように思う。
ユアクマちゃんは高校の時のすみっコぐらしということ。自分の人生に彩りを与えてくれていると実感できる存在。
またぬいぐるみを集めて自分の国を作り上げてもいいかもしれない。ぬいぐるみ共和国。ぬいぐるみとも民主政治でありたい。
ぬいのぬいによるぬいのための国。
代表が人間でいいのかと議論が巻き起こり、巷では人間差別まで起きてしまうかもしれない。しかし良きぬい達ならばきっと人間とぬいの共生を図ってくれると信じている。
ところで、今日はお土産でまねまねパンダというのが家に到着した。話しかけると高い声でそっくりそのまま返してくれるパンダなのだけれどこれがあまりに面白くて延々とやっている。
高い声でしゃべるだけで可愛く感じるのも不思議だ。可愛いねえと声をかけたら「カワイイネエ!!」と言ってくるのでずっと笑っている。
明日もユアクマちゃんを可愛がろうと思う。カアイイネエ!!