クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

 毎日毎日同じ場所を歩くことは飽きてくる。時間に余裕がある時は全く違う道を通ってみる。方角だけを頼りに適当に曲がる。
 その道に入る前の景色は何度も見たのに、数歩歩くだけで全く見たことない空間になる。
 後ろを振り返るとかすかに見覚えのある道路に変わっていて、自分が知っているつもりになっていた道は本当に狭い範囲だったと気がつく。
 歩いていると知らない交差点にぶつかる。どっちに行っても知らない場所につながりそうだ。おおよその方角だけ合わせて適当に歩く。
 これを何度か繰り返す。
 気がつけば知っている道につながる。
 運が良ければそこまでの道が頭の中で地図になって覚えることができるけれど、たいてい適当に歩いているのでぼんやりとしかつながらない。
 適当につながった道をまた歩くことがあるかもしれないしもう二度と歩かないかもしれない。
 時間帯、日の傾き具合によっても異なるけれど、意味もなくその道を気に入ることもある。そうして何度かその道を使うことになる。
 けれども日常で最も使う道は、それまで使ってきたわかりやすく、おおよそ最短に近い道のまま。
 あまり関係ないけれど安部公房「鞄」を思い出した。
 重い鞄によって歩く道の選択ができなくなり鞄により道が選ばれることになるが、それを何より自由だという。
 高校の時にやった現代文で一番覚えているかもしれない。
 それはさておき(「鞄」も別に関係なく)僕は何にも阻まれることなく適当に選んでいるようで、直感で通りたいかどうかを決めている。
 日常の道でも自由に選ばれたようでほぼ決められた道を選んでいると感じる。
 不自由ではないが自由ってわけでもないようす。
 たまには目的地も決めずただただ歩けばいいのかもしれない。