クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

「はこぶものたち」

 シャニマスイベントシナリオ「はこぶものたち」を見た。断片的な感想をまとめておく。「はこぶものたち」が誰で、何を運ぶのかということに自分の中で答えが出せるといいな。
 
 誰かにとって良いことをするということは必ずしも全員にとって良いことではない。デリバリーの送料無料にすることで利用者が増えるのは良いことだけれどその皺寄せを配達者が受けることになるし、環境のことを考える服はそれだけコストがかかるということでもある。必ずしも環境のためにならないという可能性も考えると「欺瞞」と受け取る人もいる。
 
 誰かにとって良いことをするのは良いことだ、で足を止めないで、その誰かはどこまで含まれているのか、本当に良いことなのか、ということまで考えているように思う。
 灯織のこともそうで、灯織にとって良いこと、仕事をとってくるというシャニPの行動や、真乃・めぐるの応援の気持ちを含んだ行為は良いことなのか。とってきた仕事で大変な思いをしたという流れもあり得たし(まあシャニPがそんなヘマするとは思えないけれど)、2人の応援したいという気持ちは内向きの感情で外向きの仕事という面にはそぐわないところもあったかもしれない。
 
 全員を良い気持ちにさせることは難しく、むしろ嫌な思いをする人を含む可能性のほうが高い。
 本当に誰も悪くないならどうして不快な思いをする人が出たのか。その答えを出すよりも悪い人間がいたんだ、自分が悪いんだとするほうが簡単だけれど、そうしてはいけないんだと思う。誰も悪くないということに折り合いをつけるか、みんな少しずつ悪いんだということに折り合いをつけるとかなのかな。自分が悪いんだとするんじゃなくて、自分を含めたみんなが悪いということができるようになることが大事なのかも。
 
 全員が良い思いをしなくても「良いこと」をするんだという着地じゃなくて、「良いこと」に誰が含まれていて、どこまで届けられるのかできる限り意識しようっていう着地だったのかなと思う。
 デリバリーで運ぶ食べ物、一つ一つを意識するように。応援席に座る人、一人一人を意識するように。
 そこに人の存在を意識することというのが重要なのかもしれない。
 「はこぶものたち」が誰で、何を運ぶのかということだけでなく、誰に運ぶのかというところも重要な要素なんじゃないだろうか。
 今回でいえばイルミネのファンじゃないサッカー好きの人たちに届けるというところまで意識すること。誰か、を意識することが大事なんだろうなと感じた。
 この誰かが具体的な人になる必要はなくて、何かを応援している人や、何かを頑張っている人だということ。ネットの向こう側に人がいるとかそういう、何か向こう側にいる人の存在を意識していくことなんだと思う。
 
以上
 少し散らかったまままとめられていない部分もある。いいコミュだった。シャニマスのこういう特定の悪い人間を出さない話大好きです。白黒はっきりできない問題とか0か100で考えられない問題を描けるのすごいなと思う。
 イルミネのコミュまだまだ見られていないからもっと見ていきたいな。