クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

なんやかんや

 昨日の内容イマイチだったなあと思いながら今日のことを書こうとしている。しかしこれといったことがなくまたイマイチになりそう。最初からこんな後ろ向きでいいのか、いや、よくない。逐語訳。
 逐語訳という度に畜生が暴れまわるイメージがある。動物のことを畜生というと本当に倫理観が欠落している人間のようだ。自分に倫理観はそれほどないが、社会から敵視されない程度にはあるつもりでいるので、きちんと動物と呼ぶことにしている。
 呼び方一つでその人のイメージが形成されるので言葉は難しい。子どものことをガキと呼ぶ人にはなんとなくイヤな雰囲気がある。こういうのも偏見なのかもしれない。言霊信仰の現れということも考えられる。細部にこだわるという意味では国民性の現れともいえる。なんやかんや社会の中で育っている。
 なんやかんや社会。全てのことがなんやかんやで進んでいく社会。
 法律もなんやかんやで制定されるので裁判もなんやかんやで終わる。それでもなんやかんやで生きられる社会。悪くないと思う。
 なんやかんや食事をして、なんやかんや家事をこなす人々がなんやかんや生活をしている。なんやかんや人間。
 なんやかんや人間の朝はなんやかんや始まる。
 起きてから時間はなんやかんや過ぎ、なんやかんや外出する時間になる。なんやかんや昼になりなんやかんやの食事をしてまたなんやかんや午後が過ぎていく。帰宅して夜がなんやかんや過ぎてまた朝になる。こうしてなんやかんや一週間、1ヶ月、1年が過ぎる。1年間のなんやかんや。
 人生におけるなんやかんや。今行われている全ての人生?
 本人にとって特別なだけで、他人からしたら全てがなんやかんやかもしれない。
 あんまり面白みのない結論にたどりついてしまった。
 なんやかんやだけで今日の日記を書こうと思っていたがそううまくいかないな。
なんやかんやではうまくいかないこともある。教訓めいていて嫌だな。こんなしょうもない教訓を得るために生活しているのではない。
 次はもう少し面白いことが書きたいな。また後ろ向き。なんやかんやもとに戻る。