クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

カメラ

 感想を書く予定はないが、シャニマスのイベントシナリオ「感光注意報」を読んだ。書く予定がないのはあまりアンティーカのことを知らないから。
 知らなくても書くべきだとは思うが、どうしても書きにくいので今回はやめておく。
 じゃあそもそもこの冒頭を書く必要がないのではないかと思われるかもしれない。しかしこれがきっかけになるテーマだったので。どうしてもここから書き始めたかった。
 感光という言葉から推察されるかもしれないが、この話はカメラがテーマになっている。
 一瞬を切り取るカメラ。そのシャッターが切り取った今が連続して時間になる。
 この話の中でカメラは特別な存在であったけれど、中で語られていたのは日常的な風景だったと思う。
 さておき
 僕は今カメラから離れてしまっている。きっと細かな理由が多々あるのだろうけれど明確に感じているのは、カメラを持ち出すことが非日常になってしまっていたという理由だ。
 僕は日常の中でカメラを扱いたいようで、本当は毎日持ち出すことが1番適している。しかし毎日持ち歩くにはあまりに大きいカメラを買ってしまっているので日常になじまない。ここが非常にもったいない問題を引き起こしている。どうすればいいんだろうね。
 カメラを持ち歩く日常を作れば1番良いのだろうけれど、習慣を生み出すというのも難しい。今はスマホを代わりにしているが、なかなか手に馴染まない。とやかくいわずに撮るというのが1番良いとはわかりつつもとやかくいっている。
 今日は久しぶりにそういう気持ちを思い出した。それだけカメラから手が離れてしまっていた。
 写真を撮ることは今でも好きだと思う。好きだと「思う」というのはやはり離れてしまっているからだ。実際にふれていれば実感できるだろうに。スマホではあまりそれが実感できない。スマホではどうしても欠落してしまう感覚があるのだろう。カメラとスマホの間にある溝を埋めることができないでいる。
 やはりコンパクトデジタルカメラを手に入れるべきだろうか。ずっと迷っている。コンデジならば日常的に持ち歩くことで習慣の中に落とし込むことができるかもしれない。しかしこれまで使っていたカメラをもう使わなくなってしまうかもしれないと思うと寂しい。
 日常的に一眼レフカメラを使っている人はどのようにして日常の中に落とし込んでいるのだろう。それほど深く考えることではないように思う。
 とにかくまたカメラを扱いたいという気持ちが高まっている。今がチャンスなのかもしれない。とりあえずカメラを持って一歩外に出てみようかな。