こたつを出した。これからこたつで寝てしまう生活が始まる。
こたつでごろごろすることは全人類に許された自堕落と思う。これほど抗えない空間も珍しい。
部屋全体を温めることができるようになった現在においてもこたつの狭い空間だけを温める需要はなくならない。
部屋全体を温めれば部屋から出たくないという願望だが、こたつはこたつから出たくないというより限定された範囲の願望になる。これが人間の活動も狭め、より自堕落な人間にさせる理由ではないだろうか。
それにしてもこたつはいい。ぎりぎり手が届くかどうか程度の範囲で世界が完成している。
この狭い世界で冷えた空気を持つ静かな夜と朝を見る。また年末年始のテレビの中の騒がしさをぼーっと眺める完結した空間になる。
自分の手の届く範囲だけが世界になる安心感。世界を広げ続ける必要を感じながらもその一寸先は闇という状態の不安がつきまとう日々。そんな中で一つくらい閉じた世界を持っていることは自分が安心できる空間を手に入れるという意味でいいものではないだろうか。
色々な世界の中で生きていることを再認識する。自分の持っている世界は2、3あればいいほうだと思うが、1つの世界に集中する時間が長くなればなるほどストレスも溜まりやすくなる。
いつしか1つしかないと思い込んでしまうようになり自ら逃げ道を断ってしまう。その後はもう壊れてしまうまで数えるほどの時間しかない。
そうなる前にこたつという閉じた空間があることを思い出すことが重要なのだ。少なくともこたつがあると思えること、逃げ道があると思えることが生き抜くために必要なことだと思う。
ここまで考えなければこたつを肯定できないような人間になってしまった。というよりもこたつを肯定しなければ生きられない人間になってしまった。
そんな人間もこたつは受け入れてくれる。
なんとまあ温かいことか。