最近の悩み。
精神年齢がどこかで止まってしまったような気がすること。おおよそ20歳周辺。体重計の身体年齢もそこで止まっている。
最近特に言葉にできない感覚や批判的思考力の弱さを感じてしまう。語彙力の不足や学習量の足りなさなどが原因だろう。所属している環境もあって自分の未熟さを常々痛感させられる。
年々他者とのコミュニケーションも少なくなってしまい(これはもともと少ない友達がさらに少なくなってしまったということもある)自分の中で醸成される言葉の量が著しく減少した。恐れていた人間になりつつある。おじさん構文でしか話せない大人に。オタク構文でしか話せない人間に。
せめてものリハビリとこうして毎日書いているけれど、昨日の感想でもうまく言葉が紡げていない。もっと観察力があればとないものねだりの悶絶。苦しい。
しかしこの苦しさを解決する方法は読んで書くしかない。自分の中にある問題を解決する方法はわかりきっているのに、その解決方法はひたむきな努力のみというのは当たり前すぎる結論であるのに受け入れがたさもある。
筋肉をつけるためには筋トレしかないというような。スタートラインの敷居の高さを感じる。これは自分で敷居を下げるしかない。
つまり読んで書くことをより日常の中に取り込んで無意識と習慣に近づけるというのが最も効果的ではないだろうか。それは結局こうして書いていることを今まで通り続けていくという結論で、今まで通り本を読んでいくという結論に戻ってくる。
それは言い換えると悩むこと自体をやめることが最も良いということである。むなしい時間がすぎた。
ここまで書いた全てが無意味な循環の中。
完全に無意味というわけでもないと思いたい。自分が未熟だと感じている内は比較的良い状態だ。自分のことを完全無欠だと思い始めればいよいよ終わり。
卑屈さと謙虚さの間で適切なバランスを保ちたい。
あとはなるべく人とのコミュニケーションを取りたい。もともとそんなに得意ではないけれどいよいよ苦手にさしかかりそうで恐ろしい。
いろいろなことを恐れて生きている。