クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

シーズ ファン感謝祭

 アイドルマスターシャイニーカラーズ「ファン感謝祭」シナリオ、シーズ編の感想を書こうと思う。
 昨日書けないから今日に回そうと考えた結果今書いているわけだけれど、クリスマスパーティーの話もせずにこれを書いているのは斜に構えすぎな気もする。
 そして肝心の中身も今日になってもわからないものはわからない。答えが出せていない部分がある。「何に感謝するのか」という部分。だから中心が抜けているような内容になると思われるけれど、周りを考えることで中心が見いだせたらいいな。
 シーズのシナリオイベント「ノーカラット」の感想メモがスマホに入っていたので見返すと「にちかの目に映る美琴の魅力をどれだけ外に見せられるかが、ユニットの鍵になるんじゃないか」と書いてある。これはなかなか「ファン感謝祭」の重要な部分を担っている気がする。過去の自分もたまには褒めてやりたい。
 さておき、にちかが美琴の踊りに魅了されて、これを絶対にステージ上に出したいという思いがあったと思う。そのためには、にちか自身が美琴に並び立てるようにならなければいけないという考えから限りある時間の中でその努力を自身に強いる。斑鳩ルカとの対比で実力の不足や時間の足りなさが強調されて、余計に苦しい闘いであることが見える。
 にちかと美琴は活動の路線が違うように思うのだけれど、それを無理に合わせようとしてその負担が全てにちかにかかっているように見える。だから今回の結論の一つであるにちかが声を担当するというのは、2人の活動する場を無理に一緒にする必要はないというプロデューサーからの意思表示のようにも思う。
 そもそもスタートラインが違うのだから、ゴールが一致するのは難しいんじゃないだろうか。
 美琴の方は良くも悪くもステージのことだけを考えている。今回のシナリオで美琴は全ての活動の場(主にステージ?)を同質で考えているように見えた。特別なステージはなくて、全てが大事なステージ。前半部分が特に強い意味を持っているように思う。これが性格的なものなのか10年間の経験的なものなのかはわからないけれど、今回できなければ仕方ない、次の機会にと平気で回すことができると描かれていた。
 美琴が何を大事にしているのかということが今回で少し見えなくなってしまった。アイドルになりたい。最高のパフォーマンスをしたいという思いが、今を最大限活かしたいということにはつながっていない。ここが強い違和感なのかもしれない。美琴自身が希望したことなのにそれがだめになってしまうことに食い下がることをしないで、すんなりと受け入れてしまう。
 美琴もにちかも考え方の中心に「0か100か」というものがあるように思う。完璧なパフォーマンスができないならばやらないという選択肢を取る。そこに明確な苦しみを伴っているかどうかが違いだろうか。同じ選択をしようとするという意味では違いはない。この考えは別に悪いものとは思えないが、0でも100でもない選択肢の存在を考えない盲目的な考え方だと思う。シャニPは今回その50の選択肢を提示することができたように思う。
 最後それが正しかったのかどうか、というよりも違うんじゃないかと悩んでいた。ということはシーズには100を達成してほしいと考えているのだろうか。いや、そこじゃないんだと思う。
 天井努の言葉の意味もふまえるならば、美琴とにちかの協和が見たいということなのかもしれない。
 今回は美琴のしたいパフォーマンスを、いわば支えるという形での舞台になってしまったことに納得がいっていないのかもしれない。記者はにちかと美琴の調和とみて取っているけれど、にちかの考えの根幹に「美琴の舞台を台無しにしたくない」があることを知っているシャニPにはやはり下支えのように感じるのかもしれない。だからシャニPは成果が出ていないと感じているのではないだろうか。
 ここまで考えてなんとなくの思いつきではあるけれど、何に感謝するかわからないというのは、目的がわからないという意味ではないだろうか。
 シーズは手段と目的が転倒しているんじゃないかと思っている。つまり何か目的があってパフォーマンスを高めているのではなく、パフォーマンスを高めることが目的になっている。いや、目標としては観客を魅了したいなどがあるだろうが、だんだんその部分が希薄になっている気がする。
 だからパフォーマンスが追いつかないと他の手段を選ぶということができない。そして何のためにやっているのかわからなくなるんじゃないだろうか。
 アイドルが感謝するのがわからないという考えにせよ、自分はどうしたいかという部分にまでたどり着いていないように思う。
 次のシナリオではその自分にとっての目的が関わってくるように思う。