クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

なんやかんや

 昨日の内容イマイチだったなあと思いながら今日のことを書こうとしている。しかしこれといったことがなくまたイマイチになりそう。最初からこんな後ろ向きでいいのか、いや、よくない。逐語訳。
 逐語訳という度に畜生が暴れまわるイメージがある。動物のことを畜生というと本当に倫理観が欠落している人間のようだ。自分に倫理観はそれほどないが、社会から敵視されない程度にはあるつもりでいるので、きちんと動物と呼ぶことにしている。
 呼び方一つでその人のイメージが形成されるので言葉は難しい。子どものことをガキと呼ぶ人にはなんとなくイヤな雰囲気がある。こういうのも偏見なのかもしれない。言霊信仰の現れということも考えられる。細部にこだわるという意味では国民性の現れともいえる。なんやかんや社会の中で育っている。
 なんやかんや社会。全てのことがなんやかんやで進んでいく社会。
 法律もなんやかんやで制定されるので裁判もなんやかんやで終わる。それでもなんやかんやで生きられる社会。悪くないと思う。
 なんやかんや食事をして、なんやかんや家事をこなす人々がなんやかんや生活をしている。なんやかんや人間。
 なんやかんや人間の朝はなんやかんや始まる。
 起きてから時間はなんやかんや過ぎ、なんやかんや外出する時間になる。なんやかんや昼になりなんやかんやの食事をしてまたなんやかんや午後が過ぎていく。帰宅して夜がなんやかんや過ぎてまた朝になる。こうしてなんやかんや一週間、1ヶ月、1年が過ぎる。1年間のなんやかんや。
 人生におけるなんやかんや。今行われている全ての人生?
 本人にとって特別なだけで、他人からしたら全てがなんやかんやかもしれない。
 あんまり面白みのない結論にたどりついてしまった。
 なんやかんやだけで今日の日記を書こうと思っていたがそううまくいかないな。
なんやかんやではうまくいかないこともある。教訓めいていて嫌だな。こんなしょうもない教訓を得るために生活しているのではない。
 次はもう少し面白いことが書きたいな。また後ろ向き。なんやかんやもとに戻る。

寒波

 雪が降る季節。情緒を感じる余裕もなく寒い。寒波がきているらしい。寒い波と書いて寒波。そのまんますぎる。
 波というからには波なのだろうか。波とは空間や物体に起こった変動が次々に他の場所に伝わる現象をいうらしいが、寒波にも起点があるということなのだろうか。
 ウィキペディアによるとそれは北極にあるらしい。コトバンクによるとシベリア気団というものがあるらしい。
 どちらにせよ北の方からやってきている、寒気団というやつらが張り出してきているということが理解できた。暴走族みたいな名前だと思う。氣志團とか数取団のイメージに引っ張られている。寒気団がぶいぶい言わせてよそのシマにまで手を出しにきている。そう考えると余計に腹が立つ。いや、それほど怒るようなことでもないな。冷静になってしまった。冬なので。
 寒気団という言葉を見て清浄歓喜団というものを思い出した。亀屋清永のお菓子で、奈良時代からあるお菓子らしい。一度食べたことがあるがお菓子という想像からは離れた味がしたことを覚えている。味というよりも、香辛料の風味がとても強い変わった食べ物だった。機会があればまた食べてみたい気もする。
 香辛料は寒い地域でも重宝するというのを聞いたことがある。唐辛子は暑い地域では発汗作用が身体を冷やすのに役立ち。寒い地域では体内から温まるのに役立つとか。あまりに万能に思う。
 保存が難しい頃に生きていないので香辛料のありがたみは小さいように思うけれど、多少匂いの強い食べ物でも香辛料で覆い隠してしまえばどんなものでも食べられてしまうと考えれば、かなり強いアイテムに見えてくる。香辛料の世界はけっこう面白いかもしれない。歴史など漁ってみると面白いことがわかるかもしれない。
 書くことで色々なことを考える結果ほしい本や勉強したい分野がかなり広がりつつある。非課税の一億円がほしい。
 外も財布も冷えに冷えているので温まりたい。

「神様は死んだ、って」

 シャニマスのクリスマスパーティday2アーカイブやっと見られた。
 斑鳩ルカのサプライズ登場と初曲披露をあらかじめ情報として知っていたのだが、そのパフォーマンスに圧倒されてしまった。
 斑鳩ルカという人物は劇中でカリスマとして描かれており、いわゆる「サブカル」的なものが好きな人や病んでしまいやすい人を惹きつけているという描写がある。また現状プレイアブルキャラクターではなく、その情報は断片的に現れてくるのみで、ほとんどわかっていることはない。この人物が突如ライブに登場し、パフォーマンスを披露したと考えてほしい。
 カリスマがそこにいたのだ。
 大森靖子などの曲を聞いたことがあるだろうか。あんまりそういう括りを設けたくないので「サブカル」というのは適切ではないと思っているが、精神的に苦しい状態の人間が自分のことを歌っているように感じたり、苦しい自分をある種救ってくれる神のような存在。そういう存在としてのパフォーマンスがあるんだと思うが、今回の斑鳩ルカはまさしくそれだった。
 僕はそういうのが大好きな人間なので、本当にやられてしまった。舞台上で苦しむ姿に自分も苦しくなり、怒りのような感情の濁流に飲み込まれていき自身が恍惚とした表情を浮かべているのを感じるような、トランス状態に近づいていく空気。「(ペンライト)もっと振れ!」と命令された場面はゾクゾクした。カミサマと崇められている存在のライブがそこにあった。
 しかも歌う曲のタイトルが「神様は死んだ、って」で自殺を仄めかす振りが含まれているのまで本当に何から何まで計算の内なのに、自分のカミサマが魂を削っているように見える。自分のカミサマが死んでしまうように見える。何もかもカミサマに踊らされている。すごいライブだった。
 「神様は死んだ、って」という曲は現在各種DL販売サイトで購入できるので聞いてほしいのだけれど最高に良い。日常の息苦しさと渇きを感じる、まさしく自分のために歌われていると感じさせる曲。
 斑鳩ルカ自身の歌というより、斑鳩ルカが存在する世界で実際に斑鳩ルカが出した曲で、信者が何度も再生してる曲というのが正しいと思う。学校に居場所がないと感じている生徒が昼休みに、登下校中に聞いているし、どうしようもない孤独感に襲われている大学生が夜中に一人で聞いている曲だ。世界を破壊してくれる曲。この曲に救われている人間の存在が想像できる曲になっている。めちゃくちゃすごいと思う。聞いてほしい。
 斑鳩ルカを演じている川口莉奈さんもめちゃくちゃかっこよかった。ライブ版は地の底から呻っているような声がして最高だと思う。今後どうなるんだろうか。楽しみ。
 ここからはメモに近いこと。
 カリスマ的存在というのがイメージではあるけれど具体的に誰とは言いにくい。戸川純が最初に思い浮かんだけれどそれほど知らない。
 斑鳩ルカのカミサマ像の形成というのは、僕の中では戸川純アーバンギャルド大森靖子あたりでできている。
 こういうジャンルの音楽を自分の中でもっと形成できればまた見えてくるものがあるかもしれない。

夢の機能

 悪夢を見た。起きた直前は内容も覚えていたし、なんなら以前も見たことある悪夢だったのだけれど、今はもう忘れてしまった。悪夢を見たという事実のみが残っている。きれいな紙を折った後はどれほどのばしてもシワが取れないような、気持ち悪い感覚が残っている。
 悪夢の必要性はどこにあるのか。そもそも夢を見るという機能にどんな意味があるのか。
 人は寝ている間に記憶の処理をしているらしい。夢を見るというのはその情動などの処理に一役買っているという。はたして本当にそうなのか。
 これまで人生で経験していないことの夢が現れてくるのは感情を基に作成されているということになる。同じ感情を生み出し、それを夢という形で処理していっている。感情の処理をするためだけに存在しない記憶を作ってしまっているのか?まだまだ理由があるように思う。どんな理由が存在するだろう。
 例えば予知夢というものがある。今後経験することをあらかじめ夢で見ているという経験。僕は時々予知夢が起こる。予知夢と思い込んでいる経験がある。日常の風景の一部だが、ある時間、ある場所でしか起こらない光景を見た瞬間、以前夢の中でこの光景を見たことを思い出す。おおよその夢は忘れてしまっている上、基本なんでもない光景なのでなんの約にも立たないのだが、その光景を見た瞬間確実にその夢を見たことを思い出す。日頃見ているものの組み合わせでしかないと思われるかもしれないが、初めて訪れた場所でも起こることがある。
 本当に予知夢かどうかはわからないが、嘘の記憶を脳内に結びつけている。夢にはそういう能力もある。記憶の断片を整理する中で処理しきらずあえて取りこぼしているのではないかと思う。
 処理をしつつ処理をしない。仮に記憶の処理をしているならばそういう面もあるだろう。
 悪夢を見る理由については言及できていない。感情を処理すること以外に理由があるのか。
 悪夢の中で沸き起こる感情は日常で体験するもの以上に強い感情である事が多い。強い恐怖心や怒りを感じる。感情の処理という観点で考えれば日々のストレスの蓄積を短い時間で処理していると考えられる。
 他の見方をする。例えば感情を錆びつかせない機能があるとか。日頃感じることの少ない強い感情を呼び起こすことによって脳を活性化させている。運動して使いにくい筋肉を鍛えるように、脳も使わない部分を使おうとしている。意識とは関係のない部分での活動。などがあったら面白いと思うがどうだろうか。
 僕の今日の想像力はここまでなので、またどこかで悪夢を見た時に考える。
 ふと
 これも全部本当は夢で、本当はブログなんて一回も更新していないかもしれないと思った。
 一体どこからが現実なのか。
 また見ようかな。

音楽で踊り狂いたい

 TAKU INOUE「ALIENS EP」めちゃくちゃ良かった。
 EP全体を通してクラブに行った一晩になっているらしい。中心になっているのがソロデビュー曲の「3時12分」。
 今日の帰り道一通り聞いていいたが、人目も憚らず音に合わせてこっそり揺れてしまった。見られていたらちょっと痙攣してるキモい人かもしれない。そんなことはどうでもいいと思った。誰に見られようが今を最高に楽しみたいと思える時間だった。
 クラブ行ってみたいな。行ったことないから。踊ることが許された空間で、外面なんてものを気にしないで、音楽に身体を溶け込ませたい。全身を固体から液体、気体にして、その空間全体と混ざり合いたい。自分と他人の境界線をめちゃくちゃにしたい。
 そうして全体から個体に戻った時どうなってしまうんだろう。今までと同じかもしれないし違うかもしれない。
 毎日死んで生きる細胞の循環の中で音楽が与える影響。
 どれだけ小さな影響でもその蓄積が全身を駆け巡り、細胞が死ぬ前に次の細胞へと伝えられていく。くりかえしてくりかえして、自分の細胞の一つぐらいは音楽でできていたりしないだろうか。こんなにも音楽に心惹かれるし。必須アミノ酸みたいなものではないだろうか。必要な栄養素。摂取しなければ死んでしまう。比喩ではなく、本当に死んでしまう日がくるだろうなと感じている。
 昔老人ホームを見学させてもらう機会があった。そこでカラオケの機械を使ってお年寄りの方々が好きそうな曲が垂れ流しにされていた。
 もし自分が聞く側の立場だったらこれは苦痛なんじゃないかと今になって感じる。カラオケ音源でボーカルのない曲が好きそうという理由で流される。そんな横暴があっていいのか。もし興味のない音楽だったらと思うと余計に恐ろしい。その場合は自分の中でただのBGMになっていくのだろうか。でもただのBGMのために生きていない。せめてちゃんとした音源を流すべきなんじゃないだろうか。こんなこと言っても仕方ないのだけれど。
 死ぬまで聞きたい音楽聞いて生きたいと改めて思う。
 最後に聞きたい音楽を聞いた話。
 King Gnu「一途」もめちゃくちゃ良い曲だった。
そしてこの曲がArctic Monkeysの影響を受けているという噂を聞きました。MV見たらまさしくそうでめちゃくちゃ感動した。

youtu.be こういう話延々と聞きたいね。

カメラ

 感想を書く予定はないが、シャニマスのイベントシナリオ「感光注意報」を読んだ。書く予定がないのはあまりアンティーカのことを知らないから。
 知らなくても書くべきだとは思うが、どうしても書きにくいので今回はやめておく。
 じゃあそもそもこの冒頭を書く必要がないのではないかと思われるかもしれない。しかしこれがきっかけになるテーマだったので。どうしてもここから書き始めたかった。
 感光という言葉から推察されるかもしれないが、この話はカメラがテーマになっている。
 一瞬を切り取るカメラ。そのシャッターが切り取った今が連続して時間になる。
 この話の中でカメラは特別な存在であったけれど、中で語られていたのは日常的な風景だったと思う。
 さておき
 僕は今カメラから離れてしまっている。きっと細かな理由が多々あるのだろうけれど明確に感じているのは、カメラを持ち出すことが非日常になってしまっていたという理由だ。
 僕は日常の中でカメラを扱いたいようで、本当は毎日持ち出すことが1番適している。しかし毎日持ち歩くにはあまりに大きいカメラを買ってしまっているので日常になじまない。ここが非常にもったいない問題を引き起こしている。どうすればいいんだろうね。
 カメラを持ち歩く日常を作れば1番良いのだろうけれど、習慣を生み出すというのも難しい。今はスマホを代わりにしているが、なかなか手に馴染まない。とやかくいわずに撮るというのが1番良いとはわかりつつもとやかくいっている。
 今日は久しぶりにそういう気持ちを思い出した。それだけカメラから手が離れてしまっていた。
 写真を撮ることは今でも好きだと思う。好きだと「思う」というのはやはり離れてしまっているからだ。実際にふれていれば実感できるだろうに。スマホではあまりそれが実感できない。スマホではどうしても欠落してしまう感覚があるのだろう。カメラとスマホの間にある溝を埋めることができないでいる。
 やはりコンパクトデジタルカメラを手に入れるべきだろうか。ずっと迷っている。コンデジならば日常的に持ち歩くことで習慣の中に落とし込むことができるかもしれない。しかしこれまで使っていたカメラをもう使わなくなってしまうかもしれないと思うと寂しい。
 日常的に一眼レフカメラを使っている人はどのようにして日常の中に落とし込んでいるのだろう。それほど深く考えることではないように思う。
 とにかくまたカメラを扱いたいという気持ちが高まっている。今がチャンスなのかもしれない。とりあえずカメラを持って一歩外に出てみようかな。

わくわく

 今日はアレを見るのでそれまでに今日の分を書いてしまう。アレのことでとやかく言いたくない。
 先日映画館で初めて呪術廻戦を知った。名前自体は以前から耳にしていたし面白いという情報は入っていたのだけれど。いつもの波に乗れない状態、悪くいえば(というより正確にいえば)斜に構えている状態だったのでほとんど知らなかった。
 予告編の映像を見ただけなので中身も何もわからないのだけれど、自分が好きそうなキャラクターが好きそうな話をしていた。今度コミックかアニメに手を出してみようか。
 さて、書くことがない。
 今日一日アレ三昧なので、脳内は笑うことのみに絞られている。思考に制限がかかっている。
 敗者復活戦からそれはもう楽しんだ。全員めちゃくちゃに売れてほしい。本当に。
 去年知った芸人がめちゃくちゃ勝ち上がったり、今年めちゃくちゃおもしろい芸人知ったりで、もう既にめちゃくちゃ楽しんでいる。過去1番楽しみにしているかもしれない。
 知れば知るほど楽しいのいいですね。まだまだ知らないのでもっと色々見たいなとも思う。
 そういえば来年のDr.ハインリッヒの単独見られることが決まったのでるんるんです。
 来年といえばマヂカルラブリーno寄席も決まったし、年明けからいいこといっぱい。
 このワクワク感で残りもがんばりたい。
 もう始まるので以上で終わり。