クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

廊下

 歩けども歩けども出口が見つからない。出口がないというのは入口がないという意味でもあり、自分がどうしてここにいるかもわからない。延々と続く長い廊下の途中に現れた自分に右も左もなく、体がなんとなく「前」だと思った方向に向けて歩き始めた。
 延々と続く廊下はむき出しのコンクリートで全面薄く灰色が続いている。素足にその無機質な冷たさを感じながら歩き続ける。
 これは夢なのだろうか。これまで夢を夢と認識できたことは一度もない。夢を夢と認識した記憶は全て消去されている可能性もあるが、記憶の中に存在しないということは事実だ。これが初めて夢だと認識できた事例と考えるよりも、これが現実である可能性の方が高い。
 しかし今度は現実にこれほど長い廊下が存在するのかという問題が生じる。ここが加速器や海底トンネルの一種なのだろうか。それにしては広さが一般的な家庭にある廊下程度で、人がすれ違う程度の幅しかない。他に機材はなくただ打ちっぱなしのコンクリートのみ。何かに利用されている空間には見えない。
 ただひたすらに続く廊下。
 それをどれほど歩いたかを考え、やめて、再び考えるというのを繰り返していた頃、壁に扉が現れた。木製で、磨りガラスがはめこまれている。ドアノブがL字ではなく回す形のものだ。ノブを回す。
 そのままドアが開いた。
 ドアを抜けるとそこは白い部屋だった。天井、床、壁、全てが白く塗られている。四畳半程度の広さで、中心には電球と、それに照らされるように白いイスが置いてある。座ってみる。このイスに座るためにこれまで歩いてきたかのように思う。
 座ったまま何もない正面を見つめているとドアが開き、白衣の男が正面に立った。
「今日はどうされましたか」
「出口が見つからなくて」
「なるほどなるほど」
男はバインダーを持ちペンを走らせる。
「いつからですか」
「わかりません」
「遠い昔?」
「それほどでも」
「つい昨日のこと?」
「それほどでも」
「なるほどなるほど」
納得したような顔でまたペンを走らせる。白衣から皺だらけの紙を取り出して言う。
「じゃあ31番を目指してください」
「どこにありますか」
「ここを出て右です」
 お疲れ様でした、と付け加えて男は去っていった。
 もらった皺だらけの紙には「31番 引換券」とだけ書かれている。
 立ち上がり部屋をあとにする。言われた通り右に進む。これまで歩いてきた道からさらに進む方向に歩く。視界にはしばらくは何もないことが確認できる。コンクリートの壁だけがある。
 また考え、考えるのを辞め、再び考えして歩く。
 ぺたぺたとした足音と服が擦れる音以外特に聞こえる音もない。時たまリズムを付けるように足音をたててみるが、それに続くメロディーも浮かばず虚しいだけだった。それでも足を止めず前に進める。
 ただ無心に歩くこと数時間、あるいは数分間。31番と書かれた看板を見つけた。これまで30番も32番も見ていない。アイスクリーム屋と同じようなものなのかもしれない。ただ31番だけがある。
 看板の真下には小窓があった。開けると煙草屋ぐらいの小部屋が見える。声をかけてみると髪の長い人間が現れた。引換券を渡す。人間は鼻歌混じりに小部屋の中を漁る。何を歌っているか気にしたつもりはないのだが
「『4分33秒』です」
と答えてくれた。ついでのようにステッカーを渡される。
「このステッカーを好きなところに貼ってください」
「帰られるんですか」
「帰る、とは」
「出られるんですか。ここから」
「もう出てるじゃないですか」
私と違って、と笑う。人間はそのまま奥に引っ込んでしまった。小部屋の中は無数にステッカーが貼られていて大学生のノートパソコンのようになっている。
 誰もいなくなった小部屋を眺めていてもしようがない。とにかくステッカーを貼ればいいらしい。31番と書かれた四角いステッカーを眺めながら少し道を進む。コンクリート打ちっ放しの壁が続く。
 どこでもいいといわれるとどこに貼ればいいのか困ってしまうが、適当なところで立ち止まり目の前の壁に貼ってみた。ステッカーは徐々に変形し大きくなる。やがて背丈を超えたあたりで変色し白いドアになった。ドアノブはL字形だった。
 ドアを開けてみる。
 四畳半程度の広さで、中心には電球とそれに照らされるように白いイスが置いてある。イスには黒猫が座っていた。猫が乗っているというよりは、人間のように座っていた。
「いらっしゃい」
猫が言いながら手招きしている。促されるままに猫の正面に立つ。
「ここまで遠かったでしょう」
「それほどでも」
「出口は見つかりましたか」
「残念ながら」
猫は一鳴きして笑う。
「もう帰れないんでしょうか」
「にゃんにゃんにゃにゃん」
「どうすればこの世界は終わるんですか」
「にゃんにゃんにゃにゃん」
困ってしまった。鳴いてばかりの猫が何かを教えてくれるわけでもなく、また目的もなく歩くしかなくなってしまった。
 猫の頭をしばらく撫で、それから部屋を出てまた歩き始めた。
 この世界の意味を考え、やめて、再び考える。また部屋が現れることを期待しながら。