テレビで万歳三唱が流れている。
自分の中で万歳三唱はディストピアのイメージが付いていることに気がつく。
日常生活でなかなか見かけないもので、よく見る場面はドラマや映画の中。そしてたいてい戦時中。というのが理由だと思う。
万歳三唱どころか諸手を挙げて喜ぶこともないのが日常。喜び事はある。しかしそれほど大きくはない。かなしい
かなしいか?
諸手を挙げて喜ぶほどの喜びは非日常だからこそ諸手を挙げるのでは?。そもそも今日見た映像も非日常の出来事だ。
手を挙げることは非日常。
そういえば挙手することもなくなってしまったように思う。
小学生の頃は積極的に手を挙げるような人間だったのに。横断歩道も手を挙げて渡っていたのに。
いつしか手を挙げても頭ぐらいの高さで留めるようになり、成長すると片手であれ両手であれ挙げることが珍しくなってしまった。そういう意味ではやはりかなしいことなのかもしれない。
大きな声で「万歳」と言いながら手を挙げることはうれしいことなのかもしれない。本人にとっては
両手を挙げてみた。
肩こりが若干解消された。
挙げるだけで喜ばしいことがあるものらしい。