クラゲドーナツ

クラゲドーナツは虚無の味

世界が悪いけど

 たまたま高校生の美術作品展に行くことになった。そういえばこうして展覧会に来るのも久しぶりだ。2、3ヶ月に一度くらいは行くようにしたいなと思う。
 この前映画見た時も思ったけれど、人が創ったものを見るのが大好きだ。自分が何か創る側になりたいという気持ちがでる。厳密に言えば消費するだけになりたくないという気持ち。
 何者かになりたいとは違う考えで、何者にもなれないとは思っているけれど、それは何も生まなくていいとは違うんじゃないかと考えている。自分がこのまま消費するだけの存在でいて、気が付かない内に消費してるだけなのに偉そうな人になってしまうことが嫌だ。
 受動的よりは能動的でいたいに近い。少なくとも受動的に手に入れたものもきちんと自分で形にしておきたい。難しいことだと思う。
 型にあてはめて話すのが1番楽だが、型だけで話すと最終的におじさん構文になる。
 だから型をできる限り増やしていくか、型を使わないように書いていくよう気をつける。それが何かを創ろうとするための動き出しかもしれない。
 
 いくつかこの流行り病の状況に対してのことを述べているものがあった。改めてこの状況が長すぎると思う。
 思うという言い方はよくないな。個人に落とし込むのは違う。世界が悪いので。
 これは別に特定の集団に刃を向けたいわけでなく(向けたい気持ちもあるけれど)もっと大きなものが悪いという意味だ。
 この悪いというのも、良かったことと悪かったことを総合して点数としては悪かったっていうのと、0か100で考えて全て悪かったというのは違う。という意味が含まれている。
 ともかく世界が悪い状況で一年半過ごしてきて、それでも前向きな気持ちで頑張り続けている人がたくさんいる。そうじゃない人もたくさんいる。
 そういう存在を大きな塊で認識していたけれど個人で見ることができたような気がする。
 そういった作品は去年もいくつか見たけれど(「不要不急の銀河」や「(死なない)憂国」)、どれもその瞬間ごとに違う空気を持っている。だから今見ることができて良かった。
 流行に乗るのは下手だけど同時代のものも大事にしていきたい。
 毎日したいことが増えていく。でも僕にとってはどれも大事なことだから。